【雑感】神様というのはある意味”言葉”なのかもしれない
- 2017.01.06
- 雑記もいいとこ
というお話です。
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原田和彦(はらたかずひこ)です。
2017年はじめのエントリーを。
年末年始はじぶん(の人生の)目標設定と、2017年、直近の目標設定をしました。
その時に思い出したこと、感じたこと、はっとしたことをシェアしたいと思います。なんだかエントリータイトルがきな臭いですが、、、お付き合いくださいませ。題して『【雑感】神様というのはある意味”言葉”なのかもしれない』です。
それではどうぞー。
本田圭佑選手の小学校の作文を思い出す
目標を思案している時、本田圭佑選手の卒業作文を思い出しました。
「本田圭佑 作文」などでググるとまとめサイトがうわ〜っと出てくるので当エントリーでは一部抜粋としてお伝えします。
ぼくは大人になったら世界一のサッカー選手になりたいと言うよりなる。
とか
Wカップで有名になって、ぼくは外国から呼ばれてヨーロッパのセリエAに入団します。そして、レギュラーになって10番で活躍します。
とか
一方、世界中のみんなが注目し、世界中で一番さわぐ4年に一度のWカップに出場します。セリエAで活躍しているぼくは日本に帰りミーティングをし、10番をもらってチームの看板です。
など、、、
本田圭佑選手は小学6年生でこのような夢を書き記してたというお話です。
目標設定をしてみると実感するのですが、「すげぇなぁ」と思うわけです。
ほうぼうにドリームキラーがいる中で想いを気化することを許さずに”言葉”にするなんて「すげぇなぁ」って思い出した次第です。
そんなことを頭に浮かべながらわたし以外の人間が見たら「爆笑必至」であり「抱腹絶倒」であり「爆死必死」の想いを気化させまいと”言葉”にしましたよ。
平々凡々になる理由、、、それは歩むべき目標となる”言葉”がないから
かもしれない、と書き記した”言葉”を直視して感じます。
目標となる”言葉”はタグであり羅針盤でありアイコンとなります。
ひと目でじぶんの進むべき道を示してくれる。自分をほんとうに鼓舞できるのは”他人”ではなく”自分”であり、”自分”が書き記した言葉となるアイコンです。
平々凡々になる選択肢をとるか、「○○でありたい」というアイコンを選択するか。
目標がなかったら選択することすらしない。つまり、真性の平々凡々にわし、まっしぐらになってしまうってこと。…恐怖そのものですよね。
そんな内容をまとめようとググってみたら新約聖書の一説にこんな言葉があるのねー。
新約聖書(ヨハネの福音書第一章第一節)
大風呂敷を広げた感が否めませんが、、、(汗)
言葉のチカラってすごいってこと。それと、正しく、上手に使いたいものですね。
仕事はじめの昼休み。あなたにシェアしたかった内容はそんなところです。今日も最後まで読んでくれてありがとうございました!
それではひきつづきマーケティングと運動習慣を楽しんで参りましょう!
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