【ただいま】父の葬儀で感じた11のコト

人生いろいろ ひきこもごも

というお話です。

 

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原田和彦(はらたかずひこ)です。

 

2月29日〜3月3日までブログ・メルマガをお休みしておりました。「大丈夫?」とお声がけくださった皆様、ありがとうございます。

 

2月27日の午前2時頃、父が亡くなりました。喪主を務めるため急遽秋田へ帰省した次第です。

 

本日はその記録的で極めて私心なエントリーです。ご了承くださいね。平常運転のマーケティングコンテンツは次週より再開致します。

 

すでにお父さんやお母さんを亡くされている方、ご健在の方もこのエントリーと出会った訳ですから、、、最後までお付き合い頂けたら幸いです。

 

題して『【ただいま】父の葬儀で感じた11のコト』です。

 

それではどうぞ。

 

【その1】人情を感じられた

実のところ、、、4ヶ月ほど前からお医者さんに「容体はあまり芳しくありません」と告げられておりました。訃報に接した時は、、、正直安堵したのを覚えています。「楽になったか」と。

 

ですから、昨年12月から葬儀社のリサーチをしたり、菩提寺(ぼだいじ:先祖代々の墓をおき、葬式や法事を行うお寺さん)の方と連絡を取り合っていたのです。でもこの時はあまり実感はないのですよね(当たり前ですけど)。

 

父の訃報を耳にした当日、とりあえず会社へ出社したものの(情報共有と月末の仕事を片付けるため)、「はやく田舎に帰ったほうが良いよ」とお声がけをいただきました。月末の仕事のTODOを整理し、早々に帰宅。

 

午前2時に訃報を知ってから結局眠れず、頭は真っ白でした。身支度を整えるため会社から自宅へ車で移動したのですが、、、一時停止の場所で赤信号を待つが如く30秒ほど停車していたことは秘密です。

 

まわりの人の心遣いがとても嬉しかったです。分厚く深い情を背に、心強くスムーズに帰省する準備が整いました。

 

【その2】支えられているコトを痛感する

帰省してからは葬儀会館へ直行しました。

 

そして無言の父と対面。・・・静寂の中、じわーっと父の死を実感しました。涙は不思議と出ませんでした。

 

葬儀会館では、昨年12月から電話で何度もやり取りさせて頂いた担当者と対面。静かに、ゆっくりと、丁寧に今後の流れやすべきことを教えてくれました。大柄の男性ですが、きめ細やかで頼りになりました。

 

父の訃報を聞いた親族から連絡をもらったり、死亡届の手続きの段取りをしてくれたり、菩提寺の住職が駆けつけてくれたりと、、、周りの方々が父のために色々と動いてくれている姿をみて(わたし含め)支えられているコトを痛感しました。

 

【その3】人間の嫌な一面も見える

まぁ、これは書くか否か迷ったのですが、、、父を見送る中で100%良いコトだけじゃなかった。「おいおい」というコトも残念ながらございました。詳細は割愛しますけど、大なり小なりどこのお家でもあると思います。

 

人の死は終わりであり始まりなんだなーって体感した瞬間でもあります。

 

【その4】仏教に興味をもつ

お恥ずかしい話ですが、、、自分の宗派すら知りませんでした。

 

どちらかと言えば葬儀全般に対して得体の知れない儀式であり、ビジネス臭を感じていたので否定的でした。

 

しかし、

 

たとえば、納棺の儀の旅支度を目の前で体験すると「あぁ、なんだかスゴイな」って感じるわけです。葬儀の対応してくれた方は納棺師であり、映画「おくりびと」の本木雅弘さんに負けず劣らずの見事な仕事っぷりに感動すら覚えました。

 

旅支度を終えた父を見てようやく涙がこぼれ落ちました。そんな自分にすこし安堵しました。なんせそれまでノー涙、でしたからね・・・。

 

と、納棺の儀ひとつ切り取ってみても「凄み」を感じる訳です。脈々と受け継がれる仏教をすこし学んでみたいと純粋に思いました。

 

【その5】お寺にも興味をもつ

菩提寺の住職のお経を聞くのはこれで3回目。つまり、お祖父さん、お祖母さん、お父さんの死を見送ってくれたことになります。住職はかなりお年を召されていました。

 

住職の立場からすると何千のうちの1人なのかもしれません。お寺は税金かからないんでしょ、お布施って随分高額だよね、、、とリサーチを色々している時は思うコトは正直ありました。

 

でもこの既成事実を目の当たりにすると素直に「凄いことだよなー」って思う訳です。

 

旅支度やお経を重ねる度に「父の死」を実感しましたし「受け入れる気持ち」も整ったのだなーと、今振り返ると思います。お寺の歴史や日常もちょっと気になったりした次第です。

 

【その6】葬儀社のありがたみを知る

お願いしたのは、100年以上の歴史をもつ小さな葬儀社でした。

 

他にも大手の葬儀サービスから2件見積もりをお願いしたのですが小さな葬儀社が一番丁寧でわかりやすかった。決め手は丁寧でわかりやすいところです。その次は価格です。一世紀以上の歴史がある事実は現地に足を運んではじめて知りました。

 

大手の葬儀サービスはあくまでも1事業であり、ビジネス臭強し。いや、、、きっとお願いしたらしっかりやってくれると思うのですが、、、葬儀を託した葬儀社は、葬儀の専門家です。それ以上でもそれ以下でもありません。

 

だから安心してお任せできたし、学びがあったし、感動したし、深い感謝を得られたとわたしは考えます。

 

【その7】死というコトを考える

父の死と対峙し「死とは何なのか?」を考えました。結局、答えは見つかりませんでしたが・・・。誰しもが「いつか終わるんだなー」と深く実感した瞬間でもあります。

 

【その8】自分の死とも向き合える

「死」を考えると最終的には「自分の死」にたどり着きます。「終活? 暇だなー」なんて若い頃思っていた自分がちょっと恥ずかしい・・・穴があったら入りたい気分になってしまいました。

 

家族に迷惑をかけないよう少しずつ自分の死をポジティブに考えようと手帳に記しました。

 

【その9】人生の在り方を再構築できる

5日間、死と向き合うコトで感じたのはこれからどう生きていくのか?その在り方の修正や再構築に迫られると感じます。これはちょっとこんがらがった家族関係のわたしだからなのかもしれませんが、、、

 

現実的でドライな決断をいくつかしました。もちろん、わたしやわたし家族にとってプラスに働く在り方です。

 

【その10】喪失感は後からじわじわ来る

あまロス、福山ロス、澤ロスなど色々ありますけど、間違いなく父ロスもあるでしょう。わたしはファザコンではありません。ほとんど遊んでもらった記憶はありません。尊敬できた部分もあれば、否定した部分もありました。

 

でも、わたしの父親であるコトは揺るぎない事実であり、火葬された父親の亡骸を見てから5日以上経っていますけど心のモヤモヤは晴れません。こればっかしは時間で解決するしかなさそうです。

 

【その11】別れとは出会いである

父とはさよならしましたけど、わたし自身、この5日間でたくさんの学び、感謝、人情、喜怒哀楽を体験させてもらいました。あたらしい価値観や覚悟が形成され、あたらしい自分との出会いがあった。

 

そう感じずにはいられません。

 

本日より本格的に仕事復帰となりました。日常の流れに乗りつつも、帰省した5日間で得た体験を糧に力一杯生きて行こうと思います。

 

・・・。

 

完全なプライベートなブログになってしまいましたね(汗)。

 

こうして自分の思いの丈を残せる場所ってやっぱり良いものです。ちょっとすっきりしました(笑)。

 

こんなブログですけど、、、

 

これからも引き続きお付き合い頂けますとうれしいです。今日も最後まで読んでくれてありがとうございました!